急性心筋梗塞発症① 11月17日の朝

発症から職場復帰まで

 朝、目が覚めたら胸が痛い。「なんやこれ?」胸が圧迫されるような激痛。というか、胸が痛くて目が覚めたのか、目が覚めてから胸が痛くなったのかはよく覚えていないが、これはいつもと違う異常事態だ。胸の中心からのどにかけて焼けるような熱さと圧迫感。のどが渇いているような、それとは違う焼けるような痛さ。とりあえず胸の痛みを我慢しながらベッドのそばに置いているコップにはいった常温水を飲んだ。全然痛みはおさまらない。ちょっとはましになるかと期待したが駄目だった。どうしよう、我慢するか?このまま我慢していたら痛みはおさまるか?

 時間は朝の9時ごろ、仕事は夕方からかとか考えていたが痛みはおさまるどころかひどくなっているようにも思えた。一人で悩んでいてもしょうがないので、痛みを我慢しながら階段の手すりにしがみつくように一階に降りた。この時間なら朝食を終えた両親がリビングでまったりしているはずだ。胸をおさえながらフラフラと部屋に入る。

 「どないした?しんどいんか?」僕のいつもと違う様子をみて心配そうに父が話しかける。「ごめんなんか胸がちょっと、なんやろ?」といいながらソファーに仰向けに倒れこむ。「血圧測るか?えーと電池はどこやったかな」と父と母が言っている横で思った。「このままではまずい」。自分で携帯を取ってくる。そして、かかりつけの町病院に電話する。体の状態を説明すると、すぐ病院に来るように言われる。

 いざとなったらなかなか救急車を呼びにくいってことがわかった。「救急車をよんでもいいのかな?もう少し我慢しようかな?」とか迷ってしまう。いたずらに時間が過ぎてしまう。もしかして一刻を争う時かもしれないのに。かかりつけ医に電話できたのは幸運だった。ここから町病院まで車で五分ほどかかる。自分で運転するのは無理そうなので父が送ってくれた。

 町病院につくと、ふらふらと中に入りながら「先ほど電話したひでぽんさいざーですが」とめっちゃ小さい声でつぶやくように言う。受付の看護師さんが「それではこちらの測定器で血圧をはかっていてください」と案内してくれる。血圧を測っていると、先生が急いできた。診察室に入り心電図をとる。「ひでぽんさいざーさん心筋梗塞ですね、救急搬送して処置が必要です。病院はどこがいいですか?」と病院を3つほど言われる。どれもここから車で40分ほどかかる大きな病院だ。僕の住んでいるところは田舎なので大きな病院の場所が遠いのは仕方のないことだ。弟夫妻が近くに住んでいるのでこの病院でとお願いした。

 診察台からストレチャーへ。よくTVでみる「いっち、にい、さん」みたいなかんじで。そして救急車へ。意識はずっとあった。長い長い永遠に続くように感じる時間を痛みにたえながら待つ。時折救急隊の人が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる。かかりつけの病院と先生なので自分の状況を何度も説明しなくてよかったような、その時のことを激痛で覚えていないだけのような。気絶はしなかった。ドラマみたいに意識なくしたほうが楽だったかな。だけどもし一人の時に気絶していたら?周りに誰もいなかったら?考えると背中が冷たくなる。

 痛みで頭がぼやけてくる。現実と夢の中の境目にいるような感じだ。意識はあるのに夢の中でいろいろと考えているような。おぼろげな。なぜか昔の事をいろいろ思い出していたような、走馬灯?僕は昔から血圧が高かったようだ。というのも、20代の健康診断では血圧を測ってもらうと「あーっ血圧高いですねぇ、でも若いから大丈夫ですよ」だった。しかし30代に入ると「あーっちょっと病院で調べましょうか」「薬飲みましょうか」「血圧高いままですね薬を増やしましょうか」というふうに、よくわからないまま薬と不安だけが強くなっていった。

  祖父は46歳に時心筋梗塞で亡くなった。祖母や3人娘だった母を残して。僕ももしかしたらと想像してしまう。そんな僕をみかねて、その時の主治医の先生が教育入院をすすめてくださる。2週間ほど教育入院をする。一日塩分6グラム、3食で1600キロカロリーの適量の減塩食。そして理学療法士さんが教えてくださる運動の仕方、負荷のかけ方をエアロバイクで指導してくださった。

 退院してからも続けていたら、体重73キログラムから65キログラムまで落ちていた。身長は170センチ。すると、飲んでも効き目があまりなかった降圧剤が徐々にきいてきて血圧も下がった。先生と相談しながら薬を弱いものにかえていくことができた。そのころの僕は一人暮らしだった。食事も運動も仕事もきちんとこなそうとしていた。だが、潰れてしまった。情けない話だが3年ほどで潰れてしまった。ひとりで頑張りすぎるのは想像以上にしんどかった。

 それから実家に帰り、少しゆるめだが食事と運動に気をつけて薬を飲み続けた。血圧も140/90以内にはキープしていた。仕事は障害をもたれた方が入居や通所をされている施設での介護職だった。性格に合っていたのか仕事は続けられた。夜勤もあり出社時間も不規則で食事も睡眠も不規則だった。20代前半に喫煙していた。20代後半からは一本も吸っていない。酒は強くないので友達と飲みに行くときぐらい晩酌してもビール一本ていどだ。痛風発作が一回あったが、それから気を付けていて尿酸値は基準値内で痛風発作はおきていない。あれはめちゃくちゃ痛い、その悲劇はいつか話します。

 そんな感じで10年ほど過ぎて僕は47歳になった。11月17日朝9時ごろ心筋梗塞になり救急搬送されている。なんでだ?油断していたのか?最近仕事が忙しかったからか?薬も毎日忘れずに飲んでいる。不規則な食事や睡眠か?体重は73キロにもどっていた。仕事の疲れとストレスで食事も量が増えていた。不規則な仕事時間に食生活。運動もエアロバイクから筋トレへと変わっていた。有酸素運動の量が減って無酸素運動の量が増えていた。少しづつ生活が崩れてきていたのだろう。寒くなってきていたし、いろいろな事が重なってしまったのかもしれない。油断していた。

 僕が生まれる前に46歳で亡くなった祖父のことを思い出す。僕もじいちゃんみたいに心筋梗塞で死ぬのか?教育入院してから血圧は安定していたが心の片隅で思っていた「僕は長生きできないのだろうなぁ」とか、「薬を飲んでいるし動脈硬化は遅くなるから50歳ぐらいまでは生きることができるだろうか」とか、半分人生をあきらめてしまっていたところがあった。でも、本当に死ぬかもしれない、そう思うと願ってしまう。「まだ死にたくない」と。家族の顔が友達の顔が受験勉強をしている頑張り屋の姪っ子の顔が部活に一生懸命な甥っ子の顔が頭にうかぶ。わかれの言葉もいえないのか。もう一回会いたいなと思ってしまう。たぶん僕は泣いていた。救急隊員の方たちが隣にいたけど泣いてしまった。やっぱり死にたくないと思うと47のいい歳したおっさんでも泣いてしまうのだ。

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